のんびりと書くブログ。

普段は小説を書いています。無職で図書館と精神病院に通っています。

はじめまして。

久しぶりに、ブログを書きたくなりました。

 

以前は、毎日長々と自分の考えを書いていたのですが、今回は、書きたいな、と思った時に、短く、せいぜい500字くらいで、ぽつりぽつり、と書きたいと思います。

 

「人がだいきらい」

 

「みんな死ねばいい」

 

ということを、僕は今書きたいので書きます。

 

つまり、そういうブログにしようと思う。

 

「わからないことはわからないことでいいじゃないか」

 

以前、プロテスタント系の協会に遊びに行ったことがあります。

 

で、いいところだったのだけれども、ぼくがカトリックにも興味があるというと、カトリックの悪口が始まりました。

 

「分かり合えない相手のことは、分かり合えない相手、で処理すればいいじゃないか」

 

「わからないことは、わからないままでいいじゃないか」

 

「自分の理解の及ばない相手を、悪く捉えなくてもいいじゃないか」

 

僕はそう思うよ。

 

この頃、平田オリザさんの「わかりあえないことから」講談社新書(だったよね?)をうろ覚えで思い出そうとしていますがタイトルと帯の惹句以外思い出せません。

 

僕は近所のおばさんがきらいです。

 

優しくなさそうな顔しているからきらいです。

 

僕は今、新しいことについて考えています。

 

(でも、僕のおばさんがきらい、という気持ちは、あっさり、次の次の行では、別の話題に移ってしまうくらい、あっさりしています。とてもきらいです。)

 

今日は、本田由紀さんの「教育は何を評価してきたか」岩波新書を読みました。

 

僕は友達を求めて、友達について考えているようです。

 

「殺したいけど殺したくない」そういう二つの気分を同時に、隠し持っていたっていいだろう、と思っています。

 

こうしてぽつぽつ文章を書いていると、うれしくなります。

 

でも、今日はこのくらいにします。

 

「また、今度書きます」

 

「僕は、みんなのことがきらいな気がしますが、好きな気もします」

 

たまに、ゴキブリとかネズミとかが、いきなり人間のいる前に現れて、阿鼻叫喚を呈することがあるじゃないですか。

ゴキブリもネズミも人間のことを怖がっているし、人間はゴキブリとかネズミがきらいです。

でも、ゴキブリとかネズミは、人間のこと怖がっている割に、うっかり人前に姿を現します。

好奇心が旺盛なのかもしれない。

 

僕も人間のことがきらいだけれども、人間の声を聞くと人間の文字を見ると、耳やめめがぴくぴくします。

 

「じゃあね」

 

「僕は人間があまり好きじゃない」

 

「人間はいつも僕を怒るからだ」

 

愛されていないなら好きにならなくていいよね。

 

愛されたら、好きになる、という条件反射で人と接している。

仮言命題が少し好きです。

 

「愛されたら他者のことを好きになる、けど、愛されていないから、他者のことを好きにならない」という状態の人がいて、その人は果たして、他者のことを好きなのだろうか、きらいなのだろうか。

 

僕は誰に対しても「愛されたら好きになる」ゴキブリから愛の言葉をささやかれたら、ゴキブリのことも好きになる。

 

これはこれで、僕なりのやさしさで、普遍愛ってことにならないかな。